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2009年01月06日(火)
分倍河原駅
期間:12月15日~12月31日
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PART(1)
▲6月16日(土)谷保天満宮境内の厳島神社で、「第5回あじさい祭り」が行われた。 「 灯りはぼんやり、灯(とも)りゃいい 」こう歌ったのは八代亜紀 さんだったか。 会場では見頃を迎えたあじさいが、ライトアップされてぼんやりと浮かび上がる。 境内は心地よい静けさと、ほのかな陰影に包まれた。 ▲厳島神社の「あじさい園」は、弁天池周辺が荒れ放題になっているのを見兼ねた氏子らが中心になり、 「アジサイ植えよう会」を発足したのがきっかけだった。 2003年のことである。 ▲敷地内の雑木林約1000平方メートルを整備するとともに、参拝者らにアジサイの奉納を募った。 主旨に賛同した住民や参拝者の協力により、寄贈された苗木はこれまでに1300株を数える。植えられたアジサイは順調に生育し、今では気軽な見学コースとして親しまれている。 ▲「アジサイ植えよう会」の会長、関政市(63)さんは、「今後ともアジサイを大切に、育てていきたい」と抱負を語る。また「枝を折ったり、持ち帰らないようにしてほしい」と見学のマナーも呼びかけている。 ▲当日のイベントを盛りあげてくれたのは、「天神太鼓」と「坂上はやし連」のみなさん。 薄闇のなかで、太鼓やお囃子の腕前を披露した。 ▲ライトアップは、6月23日(土)と6月30日(土)にも予定されている。 夕闇に溶け込もうとするときの、あじさいもなかなか風情があるものだ。 ●<アクセス> 府中駅から、京王バス国立駅行き。「谷保天神」で下車。 聖蹟桜ヶ丘駅から、京王バス国立駅行き。「谷保天神」で下車。 ●写真 (左)「あじさい園」と関会長(前面の左側) (中)弁天池のほとり (右)お囃子の披露 PART(2) ▲アジサイは紫陽花ではない。「紫陽花」の字をあてるのは「間違い」と、指摘したのは植物学者の牧野富太郎博士(※1)アジサイを、紫陽花と書くのは大きな誤りと断じている。 この漢名の出典は詩人、白楽天その人。 中国には、もともとアジサイ類がない。にも拘らず「紫陽花」としたのが、そもそもの間違い。 「植物一日一題」(※2)に、こう書いている。 ▲わが国の古い時代には、アジサイを集真藍と書き(あづさあい)と呼んだ。 のちにアジサイに転化したものといわれる。 ▲「リトマス試験紙は、何から作る?」この問いに「あじさいの花から」と答えた人がいたそうだ。 日本古来の花で、俗に七変化。七色の色彩を帯びて、「変わりやすい心」という花言葉をもつ。 桜のようにいさぎよさがなく、色を変えながら咲き続ける。 こうした理由もあって、人気のほどは芳しくなかったという。 「紫陽花の末一色となりにけり」(小林一茶) PART(3) ▲七味唐がらし。 江戸時代の初期に作られた。戦前のある時期までの呼び名は、「七色唐がらし」政府の統制措置で、呼称を「七味唐がらし」に統一されたらしい。 非常時には、「変わりやすい心」は無益な存在。いさぎよさが求められる。時代の圧力に、屈したということになるだろう。七味より「七色」のほうが、よほどニュアンスがいいと思うのだが。 ▲七変化の花が脚光を浴びるようになったのは、「経済白書」(※3)が「もはや戦後ではない」と謳ったあたりからであろう。あじさいの名所の萌芽期も、この時期と軌を一にするのではないか。 第1次下着ブーム(昭和31年)の頃は、商品名に「7色」を冠した製品も発売された。 ▲さまざまな人物に変装し、七変化を見せてくれた仮面のヒーロー「七色仮面」(※4) 時代劇では、町娘や剣士に変装した琴姫(松山容子)(※5)の「琴姫七変化」 今日のように物は豊富ではなかったが、明日への希望が沸いた時代だった。 「夢は七色きれいな虹の、みんなよんでるしあわせを」(七色仮面の歌) 備考 (※1)1862年~1957年 (※2)昭和28年刊の随筆 (※3)昭和31年 (※4)昭和34年 (※5)昭和35年 (昭和43年発売の、ボンカレーのCMにも登場) 掲載日付:2007/06/17
沿線ライター:キョンシーさん
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