▼太古の眠りからさめた大賀ハスが、咲きそろう季節になった。朝もやをついて、府中の夏の風物詩である恒例の「第47回蓮を観る会」が催された。
昭和26年千葉県検見川の泥炭層から発見されたハスの実を、大賀博士が府中市内の自宅で発芽させたもの。
俗に「2千年ハス」の名で知られている。
▼以来全国に根分けされたこの古代ハスは、各地できれいな花を咲かせるようになった。
府中市民健康センター内の修景池には、朝露に濡れたピンクの花が、みやびやかな姿を水面に映す。
みずみずしい緑の葉と、ハスの花が涼しげだ。
池畔を彩るハスは、整然として気品のある美しさで神秘的なムードをかもし出す。
夏の早起きもかね、老若男女だれでも気軽に参加できる「粋な行事」として、親しまれている。
▼大賀博士は、昭和7年千葉県で発掘された、ハスの実についても研究している。
1200年前と推定されるハスの実は、たった1個しかない。成否の確信は半々。
ためらいがあったが、勇を鼓して決心する。単なる好奇心からではなく、科学的な理論の裏づけがあった。
長寿なハスの寿命を知りたい探究心が動いた。
▼「果実の皮が厚くて堅く、水分および空気の出入りを全然絶っておりその中で非常に緩慢な呼吸作用を営んでいるからである」とハスの実の長生きの理由を解説する。
実験は、実の一端をはさみで切り、水を入れたコップの中に投じた。
観察記録は理論的説明と結果が、興味をそそる筆致で展開されていく。
▼「ハスの実がもし死んでいるものなら、2日日ごろから水がおのずから混濁してくる」と説明し、「コップの水をよく見ると、わずかに混濁してきたので、もしや発芽しないのではないかと案じた」と気を揉む。
さらに、「この果実の外面に、一つの小さな傷があったので、そこから水分や空気が出入りして、内部の状態を動かすようなことはなかったか、と思っていたからである」と説明を加える。
▼4日日になって果皮の裂け口が開きはじめ、緑色の幼芽を見ることができた。
このとき、ひとり心から叫んだ。「もう大丈夫。ああ、ここに一千年の寿命は復活した」と。
おりから喜雨が沛然(はいぜん)と天から降った。(※1)
▼植物の種子でハスが長寿を保つことを、実証できた喜びは非常に大きかった。
そのため、雨さえも、「喜雨」と感じられたのであろう。雨の降るさまを表現する用語として、
沛然という意味も知った。
この後、大賀博士の再チャレンジが始まる。
昭和26年3月に古代ハスの実が発掘(※2)され、5月には発芽に成功。翌年の7月に初めて開花した。
▼ハスの話題になると、必ずといっていいほどの予定調和がある。それは開花音。
曰く、ハスを見ていたら、「ポン」という音―うんぬんである。
徳川中期以降、文人墨客の間でもハスは、「開花有音」と喧伝されてきた。
▼業を煮やした博士が反論する。
「外側から1枚ずつ、1分間に1センチ位の静かな速さで咲く花びらに音などあるはずがない」
「27年間早天のハスの花を見ているが,この花の咲くときに,音などというものは断じてない」と一貫して、
「開花無音無声」説を主張した。
ハスの花を観賞するときの心得として、「音の有る無しよりも,花そのものの清楚を賞すべきである」と
アドバイスしている。
▼旧一万円札には、花びらをかたどった蓮華紋の花模様が描かれた。
元になったのはハスの花で、宝相華(ほうそうげ)と呼ばれる想像上の花である。
今となっては、しげしげと見入る「時間」もほとんど無かったことを悔やむ。
▼ 泥の中に育ちながら、泥に染まらず空に向かって花弁を開く。
ハスは再生、豊穣を象徴する花とされ、美のたとえにも用いられる。花の別名は「芙蓉」
今年4月、東大と資生堂が、共同で大賀ハスの香りの成分を配合した香水を発売した。
22年前から研究してきたもので、商品名は、蓮香(レンカ)
賞美された方は、その香りや如何に。
備考
(※1)その後、ハスは生育過程で枯れ死した。博士以外の
人が、肥料を多く与えたことが原因らしい。
(※2)東大検見川厚生農場(千葉市)で、古代ハスの実3粒。
写真
(左)大賀博士の胸像、1979年建立
(中)左から順に、開花前の大賀ハス、花、花托、
(右)ハスの実(上)、容器の水中で発芽(下)
掲載日付:2007/07/14